| きもの歳時記 Vol.2 |
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節分の行事 |
| 本来二十四節季の気候の移り変わる立春、立夏、立秋、立冬の前日の総称である。それが次第に立春の前日の年越えの夜を指すようになったものである。二十四節季は立春から始まり、大寒を持って一巡するが、その大寒の最終日が「節分」であり、陽暦の2月3日頃にあたる。翌日が立春なので、待ちに待った新しい春を迎える喜びに浮き立つ気分がある。この夜、邪気を退散させるために、家々では戸口や窓に、焼いた鰯の頭と柊の枝を差したり、鬼打ち豆と称して炒った大豆を撒き、また自分の年の数だけを豆を食べる習慣がある。 |
| 「豆撒き」 宮中で行われた追儺式(ついなしき)に起源を持つと言われている。追儺式は、大晦日の夜、一年間の邪気を払い疫病を除く中国伝来の儀式で、殿上人が鬼に扮した舎人を追い回し、桃の弓に葦の矢をつがえて射たという。近世以降、民間に広まり、節分の厄払いとして伝えられ、今日の形となった。近年、神社仏閣が大々的に取りあげて立春に祝福の神々を招こうとするのである。 |
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「節分にきもの」考 立春の頃にふさわしく、春らしい明るい色の紬に、ちょっと季節を飾る意匠の塩瀬の帯などは如何でしょうか。着る人の個性が光る時でもあります。(左・節句の塩瀬染帯) |
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桃の節句(雛まつり) 中国の古代では陰暦3月の初めの巳の日を節目とした。貞享五年(1688年)「日本歳時記」によると、3月の辰の月なので巳を除日とし、不祥を除く意味であったという。それが後、3月3日となった。中国の風習では、水辺で禊ぎを行ったり、酒を飲んで災厄を祓ったりしたが、これが曲水の遊びに発展した。桃の節供ともいうが、桃の実の形は生命力を象徴していたし、また花の赤色に邪気を祓う呪力を認めていた。禊ぎの風習はその後、自分の身体を人形でなでて、水に流して「けがれ」を祓う行事となり、室町時代の頃からこれに替わって雛人形を飾り、白酒や菱餅等を供える「雛まつり」として発展した。 |
![]() 小紋 |
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| 染帯A | 染帯B | |
| 「雛祭り」きもの考 春のやわらかな日差しが差し込んで、母と幼子が幸せを共にする季節。子供にふさわしい祝い着や季節を彩るちょっとしたおしゃれ着など、和みと礼と、弾む心が同居します。 |
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